理学療法士の臨床実習の闇の部分が『大野裁判』として公になり、理学療法士協会も従来型臨床実習から診療参加型臨床実習(クリニカルクラークシップ:CCS)に舵を取りました
結果的に、実習生の課題の量が格段に減る事で睡眠時間が確保されました
臨床実習指導者講習会を開催する事で、実習生の指導に想いのある人のみ教育者を出来る様になった事、合否の決定権を養成校側が持つ事で、臨床実習におけるハラスメントはかなり減ったのではないでしょうか?
臨床実習が不安と感じている実習生は↓
臨床実習に落ちた理学療法士が伝えたい事は↓
私が実習生の時は『あなたは理学療法士に向いていない』といった人格否定だけでなく、睡眠時間2~3時間(非常時には徹夜も)という実習にただ耐えるしかないといった日々があったのも事実です
臨床実習における実習生のコミュニケーシ ョン能力に対する教育者の思い込みは↓
臨床実習で臨床教育者は実習生の能力を正確に評価出来ているのかに関しては↓
理学療法士として働く様になり、多くの実習生と関わる中で『何故、理不尽な臨床実習が繰り返されるのだろう?』と考え続けた結果、2つの心理効果に辿り着きました
1つは『ルシファー効果』
もう1つは『同調』
臨床実習の現場だけでなく、一般社会の中でも2つの心理効果が働いていても不思議ではありませんし、その結果、ハラスメントに繋がる可能性もあると私自身は考えています
鬼滅の刃から学ぶ実習生の精神的ストレスが爆上がりする指導者の関わり方は↓
鬼滅の刃の鬼舞辻無惨が指導者に向いていない5つの理由は↓
ルシファー効果とは?
簡単に説明するならば、どんな善人であっても環境次第で悪人になる可能性があるという非常にショッキングな心理効果であり、実験です
実験は1971年にスタンフォード大学で行われました
実験の内容は夏休みに大学生のアルバイトを募り、くじ引きで看守役と囚人役に振り分ける
そして、2週間にわたってスタンフォード大学心理学部の地下に設けられた模擬監獄に閉じ込めます
目的は、刑務所における囚人と看守の心理状態の観察です
参加したのは、専門家によって心理的・精神的に正常であると認められた大学生
くじびきで囚人に9名が、看守に9名が割り振られました
看守は3名ずつが三交代で『勤務』にあたります
かなり高度とはいえ、いわば『監獄ごっこ』ですね
とはいえ、運営はかなりリアルで、逮捕は本職の警察官に依頼されています
日曜日、囚人になる学生の住居までパトカーがやってきて、本当に手錠をかけられ、監獄へと移送される
そこで全裸で身体検査を受け、囚人服を着せられる
そして、囚人達は名前でなく番号で呼ばれる事になります
人間としての尊厳が奪われ、名前も消し去られるのだ
一方の看守役学生にも匿名性を与える為、サングラスの着用が義務づけられる
ちなみに学生達は広告で集められているので、お互いに面識はありません
2日目の早い段階から暴力以外の嫌がらせが始まり、それが、あっという間に虐待といっていいレベルになっていきます
点呼の際に、バカバカしいと思われる様な命令をする
それに従わない、あるいは、上手く出来なかった場合には腕立て伏せ等の体罰に処す
更に、施設のスペースを利用して独房を作り、そこに放り込む
食事を与えない等のルールを看守達が自主的に決めて実施していく様になるのです
結局、あまりにも状況が悪化している事を知った責任者ジンバルドーの恋人が6日目に実験中止を進言した事で終了
ジンバルドーは、自戒を込めながらこう話したそうです
『一部の腐ったリンゴが周りを腐らせて、全体が悪くなっていくのではない。腐ったリンゴを作りうる入れ物があって、その入れ物にある状況がもたらされれば、中にあるどのリンゴだって腐りうる』
ジンバルドーはこの実験を通して、ある特殊な環境下に置かれると、大抵の人間は非人道的な事でも平気でしてしまうとしています
その特殊な環境下とは『権力と役割』
従来型臨床実習に置き換えて考えてみましょう
臨床教育者という『役割』を持つ療法士が実習生の合否を決める事が出来るという『権力』を持っているという事になるのではないでしょうか?
当時だけに限らず今に至るまで、多くの養成校は常に実習地確保の問題と向き合っている事でしょう
実習生の多くが苦しんで戻って来る実習地(腐ったリンゴを作りうる入れ物)であっても、送り出さざるを得ない現状はあったのかもしれません
監獄実験で更に怖いなと感じたのは実験を見守っていたジンバルドーまでが良くない影響を受けてしまっていたという事(実験中受刑者の痛みや苦痛に無関心になった)
臨床実習の現場においては責任者(教育者の上司)までもが巻き込まれる可能性があるという事になり、もう1つの心理効果から、その影響は周囲のスタッフにも及ぶ可能性すら出て来る訳ですね
同調とは?
簡単に説明するならば、自分の意見や信念に関わらず、多数派に賛同(流される)する事を言います
同調に関しては心理学者のソロモンアッシュによって1951年に行われた『アッシュ実験』が有名です
まず簡単な認知機能のテストを2つの画像が描かれたカードを用いてすると被験者に告げます
被験者は8人の男子学生で、その内の1人だけが実験の対象者で残り全員はサクラ(おとり)に設定
テスト内容は1枚目に描かれた棒の長さと同じ長さの棒を2枚目のABCから選ぶという簡単かつ単純な内容
結果的には複数の試行が行われ、正しい解答は明確に『C』である事が示されているのにも関わらず、平均して32%もの被験者がサクラに同調して誤った解答(AまたはB)をしたそうです
更に12回の試行の中では75%の被験者が最低1回は誤った解答(同調)をしていました
一方で、同調圧力(サクラ)を無くしたコントロールグループでは、1%以下の被験者が誤った解答をしたそうです
サクラに同調して間違った解答を選んだ人達に対して実験後インタビューが行われ、多くの人は自分が正しいと思う選択よりも、集団の選択の方がより影響力・説得力があると感じて、集団に合わせる傾向がある事が実験から分かりました
同調を臨床実習に置き換えて考えてみましょう
周囲の多くの療法士が『臨床実習は厳しくて当然だ』と考えている場合、あなたの考えがはじめはそうでなくても『自分は間違っているかもしれない』と考えてしまう(同調する)可能性もあるのではないでしょうか?
教育者経験が少なければ、自分自身に対して自信がない為に、よりそう考えてしまうかもしれませんよね
日本人は基本的に同調しやすい人種だそうです
『KY(空気読めない)』や『変わり者』扱いされるのが怖いのかもしれません
違う捉え方をするならば、周囲にいる教育者達の実習に対する価値観や方向性がある程度統一されていれば、その価値観に染まりやすいという事にもなるのではないでしょうか?
要するに実習地として実習生達とどの様に関わっているかを後輩達に見せる事が出来れば、後輩達も同調してくれる可能性がある訳です
そういった面から考えると教育者は目の前の実習生達の指導を行う事が結果として周囲の後輩達の教育も兼ねている事になるのかもしれませんね
まとめ
今回はハラスメントの心理学として、臨床実習を例えに何故、理不尽な指導が起こるのかという事を考えてみました
人は生きていく上でどうしても集団に属する事が多いですよね
はじめは属している集団(例えば職場)に違和感があったとしても、ルシファー効果やアッシュ実験から考えると無意識にその違和感に染まってしまう可能性があります
決して簡単な事ではありませんが、自分自身を俯瞰的に見る事が大切なのかもしれませんね
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