理学療法士として働き続けて18年
数多くの患者さんの最期の瞬間に関わらせて頂く中で自然と『理学療法士の私に出来る事って何だろう?』と考える様になりました
あくまでも個人的な価値観でしかありませんが、
人生の最終段階においては理学療法よりリハビリテーションの方が大切ではないかと考えています
ACP=リハビリテーション
リハビリテーションを少しでも実現する為に重要視しているのがACP(アドバンス・ケア・プランニング:人生会議)
『ACPを支援し、具現化する事=リハビリテーション』
これが現時点で理学療法士としての私が辿り着いた結論です
どこで最期を迎えたいのか?
どうやって生き抜きたいのか?
何を実現したいのか?
それは『その人らしい生活を支援する事』に繋がるのではないでしょうか?
一方で、病棟で働く中で患者さんのACPがあまりにもないがしろにされている場面を私は多々見て来ました
主治医とご家族だけで患者さんの今後の方針が決められている事があまりにも多い
患者さん自身が意思表示出来ない状態であれば理解出来るのですが、意思表示出来るのに患者さんがその場にいないのです
私は率直に感じました
『一体誰の為のACPなんだ?』
病院としてご家族からのクレームや訴訟を未然に防ぎたいのは当然だと思います
だからといって患者さん自身の人生を本人抜きで決めていく事が多い医療業界にモヤモヤすると同時に怖さすら感じた事があります
療法士だから出来る事
療法士は医療介護従事者の中では患者さんとコミュニケーションが取れる時間が長い職種だと私は思っています
トータルで考えると病棟や通所系サービスでも看護師や介護福祉士が患者さんや利用者さんに関わる時間が長いですが、1回の関わりで20分から最長1時間も密にコミュニケーションが取れる職種は他にないのではないでしょうか?
だからこそ療法士は主治医にも話せない、ご家族にも話せない患者さんや利用者さんのACPを引き出しやすい立場にいると私は考えています
そして、聞き出すだけでなく、主治医やご家族に患者さんご自身のACPを伝える橋渡し的な役割も出来るのではないでしょうか?
今回は2例だけACPを上手くサポート出来たかなと感じた経験を簡単に紹介させて頂きます
亡くなる当日まで訪問に伺った末期癌患者さん
外来→通所リハ→訪問リハ(看護)→施設と長期に渡って関わらせて頂いた末期癌の利用者さんでした
大変私の事を気に入って下さり『最後まで』ではなく『最期まで先生のリハビリを受けたい』と言って下さる方でした
いよいよ後数日ではないかと思われていた時に『状態が悪化した』という連絡がありました
『前回の訪問が最後になってしまいそうだな』と考えている時にご家族から『予定通りリハビリに来て欲しい』との連絡がありました
当然私に出来る事なんてないのですが『最期まで』という利用者さんの言葉を思い出し、主治医にコスト無しで訪問しても良いかを確認、OKが出たので訪問しました
結果として痛みで錯乱状態にあり、私の顔も認識出来ない状況でした
ただ手を握り、声を掛け、そばで見守るだけの20分でした
数時間後利用者さんは天国に旅立たれたそうです
その当時は想いだけで動きましたし、ひょっとすると『その時間で他の患者さんみろよ』と思われる療法士もいるかもしれません
ですが、今振り返ってみると自分自身がとった行動は結果的には『リハビリテーションだったんじゃないかな』と今は思っています
自己満足と言われてしまえばそうですし、実際にお金も頂いていないので仕事にすらなっていません
ですが、後日教会で行われた葬儀でご家族が利用者さんの事を話す中で私の名前を出して『最後までとても満足してリハビリを受けていた』と話されてい たというのを聞き、ホッとした記憶があります
食事制限を課されていた末期癌患者さん
食べる事とお風呂に入る事が大好きな患者さんでした
糖尿病(合併症なしのやせ型)があった為に入院中は糖尿食を食べていましたが『作ってもらえるだけ有難いけど、やっぱり味気ないわね』といつも笑われていました
そんな矢先、主治医が『病状を考えると、自宅に帰るなら今しかない』という後押しをして下さり、自宅に帰る前の退院前カンファレンスに出席する事に
その中でご家族が食事に関する質問を主治医にすると
『糖尿もあるから、今まで通りの食事(カロリー制限食)でいいんじゃないかな』との事
主治医の意見に対して、家族は当然ながらその通りにしようとメモを取っている
『家に帰ったら好きな物を食べたい』という意思を患者さんが持っているという事もありましたが、それ以前に私は率直に思いました
『末期癌でいつまで自宅で過ごせるかわからないのに本当に食事制限は必要なのか?』
糖尿病があるというのは理解出来ますが、いつ再入院する事になるかわからない、いつ最期の瞬間が訪れるかわからない状態の人の血糖値が少々高めになる事の何が問題なんでしょうか?
仮に食事制限をする事で1か月在宅生活を送れたとしましょう
食事制限を緩和して食べれる時には好きな物を食べる生活をした結果、10日後に再入院する事になってしまった
人生の最終段階において、どちらの生活に価値を感じるかは人によって違うのではないでしょうか?
好きな物を食べ続けると、血糖値が上がってインスリン注射を打つ必要が出て来る
インスリンを使いながら、食べたい物を食べるというACPがあってもいいと私は思います
終末期だからこそ注射も打ちたくないというACPがあってもいいと私は思います
高血糖になった結果、口喝症状が出て、水分摂取量が増え、トイレに行く機会が増えた
トイレ動作に不安があるのであれば、オムツやバルーンを活用してでも食べたい物を食べるというACPがあってもいいと私は思います
大切なのは『残された時間を本人がどう使いたいのか』なのではないでしょうか?
私は自分が感じた違和感を退院前カンファレンス後に主治医に伝えました
結果的に価値観が近い事がわかり、今の食事でもある程度満足度がある様なので、あえてその食生活を崩す必要はないという判断だったとの事
『好き放題食べてもいいとまでは言えないけどね』
結果的に頻度と量さえある程度管理してくれたら大丈夫という事で患者さん自身も喜ばれていました
こういった患者さんのACPを実現させる為の環境整備
こういった関わりは理学療法ではありませんが、リハビリテーションだと私は考えています
まとめ
今回はACPとリハビリテーションについて自分自身の想い、経験をまとめてみました
人生の最終段階においても『食』への楽しみは残っているものです
そして私自身も『食べたい物を食べる』というACPを大切にしたいと考えています
ACPの実現の為には主治医の意見だけでなく、多職種が意見を出し合っていく事が重要ではないでしょうか?
その為には各々が意見しやす環境作りも大切になって来るのでしょうね
最後に、今回は末期癌(終末期)を中心に話を展開して来ましたが、ACPは終末期にだけ必要なプロセス(過程)ではないという事を書き添えておきたいと思います
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