普通や常識・当たり前という言葉がリハビリテーションを阻害する

理学療法士
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私は『普通』とか『常識』とか『当たり前』といった言葉が大嫌いなんです

『普通から抜け出したい』とか『常識なんかに縛られたくない』といった気持ちがあるからではなく、シンプルに何が『普通』で何が『常識』で何が『当たり前』かがわからないからです

同時にこうも考えています

こういった言葉が色んな人のその人らしい生活、つまりリハビリテーションを阻害しているのではないか?

理学療法士としてリハビリテーションとは何かを考えてみました↓

今回は『普通』『常識』『当たり前』といった言葉や価値観が何故、リハビリテーションに影響するのかを考えてみました

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リハビリテーションを実現する為の2つの方法

まず補足させて頂くのであれば、1981年にWHO(世界保健機構)がリハビリテーションについて次の様に定義づけています

リハビリテーションは障害者を訓練してその環境に適応させるだけでなく、障害者の直接的環境及び社会全体に介入して彼らの社会統合を容易にすることを目的とする

そして、障害者自身、家族、彼らが住んでいる地域社会が、リハビリテーションに関係するサービスの計画や実行に関わり合わなければならない(一部抜粋)

要するにリハビリテーションの実現には何らかの障害を持っている人を環境(社会)に適応出来る様にするか、環境(社会)を整備する事で障害を持っている人達が適応しやすい状況を作り出すかの2パターンに分かれる訳です

理学療法士として働き続けているからこそ、両者の関わり方がとても大切である事は理解出来ますが、まだまだ日本においては後者の関わり、つまり環境(社会)を整備する事への理解が欠けている様に感じています

どういう事か少し具体例を示しながら掘り下げてみましょう

発達障害について

例えば↓はある学生さんがご自身のADHD(注意欠陥・多動性障害)について書いたnote

【初公開】~私がADHDってこと|Emi|生きづらさを生きる美しさへ
昨日の夜、初めてInstagramで投稿した。いつも会う人こそ、怖くて伝えられなかった。でも、また踏み出した大きな一歩。同じ内容をこちらにも投稿します_✍🏼🌿ちなみに、温かいメッセージもたくさん載せてるので、良かったらInstagramの投稿を覗いてみてください👀✨↓..勇気を出して。感謝の気持ちを込めて。求める人へ届...

発達障害はADHD以外にもASD(自閉症スペクトラム症)やLD(学習障害)等、いくつかに分けられます

発達障害という言葉はだいぶ浸透した様に思いますが、特性に対する理解はまだまだ進んでいないのが現状ではないでしょうか?

何故、特性に対する理解が思う様に前に進まないのでしょうか?

批判を恐れずに表現するのであれば、発達障害をお持ちの人が発達障害を公にしにくいからではないでしょうか?

何故、公にしにくいのでしょうか?

発達障害に対する偏見がまだまだあるからではないでしょうか?

周囲に特性を理解して欲しいがゆえに勇気を出して公にしてみたものの、少し人よりも出来ない事があると『発達障害だから。。。』といった捉え方をされて悩んでいる後輩も実際にいます

あなたの周囲にはいませんか?

少しだけ場の空気が読めず、少しだけ変わった所にこだわりがあり、少し不器用で同じミスを繰り返す事のある同僚に『大人の発達障害なんじゃないの?』といった内容の陰口を言っている人

そんな環境で『発達障害』を公にする方が難しいのではないでしょうか?

私自身はこうも考えています

仮に同じ発達障害があったとしても、気付かずに笑顔で過ごせている人もいれば、気付いたからこそ『生きづらさ』を感じている人もいる

その差はどこから出て来るのでしょうか?

私は環境ではないかと考えています

ちょっとしたこだわりを『仕方がないなぁ』と捉えるのか

『普通はそんな所に。。。』と捉えるのかで変わって来るでしょう

同じミスをしてしまいがちな後輩に対して『どうすればミスが起こりにくくなるかな』と捉えるのか

『あいつの頭大丈夫か』と捉えるかで変わって来るでしょう

発達障害は生まれつきの脳の特性です

頑張っても凸凹はあるんです

それであれば、多少凸凹があっても周囲が理解を示す事が出来れば、少しずつでも周囲が発達障害を知っていけば、生きづらさは軽減するのではないでしょうか?

『普通は出来る』

『出来て当たり前』

そういった何気ない言葉が周囲の人を知らずの内に傷つけている可能性があるという事を頭の片隅に置いておきたいものですね

LGBTQについて

何年か前に『同性愛が広がったら足立区は滅んでしまう』

こういった発言をした区議会議員に批判が殺到した事がありました

同じく何年か前に『女性はいくらでもうそをつける』と発言し、批判が殺到した女性国会議員は月刊誌に『子供をつくらないLGBTは生産性がない』と寄稿していたと物議をかもしました

当時、区議会議員は次の様な発言をしていました

『普通の結婚して、普通に子供を産んで、普通に子供を育てることがいかに人間にとって大切なことなのか。子供を産んで子供を育てることは経済的社会的に大変かもしれないが、本当に素晴らしいことなんだ。楽しいことなんだ。そのことを教育の場で子供たちにしっかりと教えないと』

普通の結婚って何でしょうか?

普通に子供を産むって何でしょうか?

普通に子供を育てるって何でしょうか?

この普通って基準が人によってあまりにも差がある様に感じるんです

今の時代、結婚せずに仕事一筋で生きたい人もいる事でしょう

今の時代、子供が欲しくても出来ない夫婦もいる事でしょう

今の時代、経済的な問題で子供を作らないという選択をする夫婦もいる事でしょう

子供が可愛いと思えない人もいる事でしょう

同性愛者もいれば、トランスジェンダー(生まれた時の性別と自認する性別が一致しない人)やクエスチョニング(自分自身のセクシュアリティを決められない、分からない、または決めない人)の人もいます

『子供を産んで育てる事は本当に素晴らしい事なんだ』

これは区議会議員個人の価値観であって、必ずしもこの価値観が『普通』だとは言い切れないのではないでしょうか?

『普通』に生きる事が本当に素晴らしい事なんでしょうか?

『常識』に則って生きる事が必ずしも正解なんでしょうか?

大切な事は、色んな価値観があるという事、性的マイノリティの人もいるんだという事を理解しておく事、そして自分自身の『常識』や『当たり前』を他者に押し付けない事ではないでしょうか?

普通や常識を打ち破った3人のプロ野球選手

少し違った視点で考えてみましょう

日本だけに留まらずメジャーリーグでも野球史に残るであろうイチロー選手は2軍時代に振り子打法をやめろ(一般的には『普通』の指導なのだと思います)とコーチに指導された事があったそうです

日本人メジャーリーガーの先駆けである野茂英雄投手のトルネード投法、メジャーリーグという最高峰の場所で『二刀流』を実践するだけでなく、MVPといった素晴らしい成績を残している大谷翔平選手も『常識』という概念を打ち破った選手ですよね

『普通』ではないイチロー選手が振り子打法で成功したからこそ後に坪井智哉選手が出て来る事になり

『当たり前』では考えられない野茂英雄投手がトルネード投法で成功したからこそ後に久保田智之投手が世に出て来る事になり

『常識』から逸脱した大谷翔平選手が二刀流で成功したからこそ、次世代の大谷翔平が出て来る可能性が生まれた訳です

偉大な3人は『普通』や『常識』『当たり前』という固定概念を打ち破りましたが、私を含む多くの人は『普通』や『常識』という言葉に生きづらさを感じていたり、夢を諦めたりしている可能性もあるのではないでしょうか?

まとめ

今回は『普通』『常識』『当たり前』といった言葉がリハビリテーション、つまりその人らしく生きる事を阻害しているのではないかという事を発達障害やLGBTQの観点から考えてみました

日本でも少しずつ『ダイバーシティ(多様性)』という言葉が用いられ始めています

まずは色んな価値観がある事を認めていきませんか?

あなたの『当たり前』を人に押しつけるのをやめませんか?

あなたの『普通』って言葉に苦しんでいる人がいる事を知りませんか?

あなたの『常識』って本当に常識なんですか?

私自身も患者さんのリハビリテーションをサポートする仕事をしている者として、少しでも周囲の環境を良い方法に変えられる様に努力していきたいと思います

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